八鹿酒造|江戸時代末期の1864年創業。「酒造りは国土を守っているのと一緒」 酒造りを通して、土地と人に寄り添い続けてきた八鹿酒造の物語。

八鹿酒造|江戸時代末期の1864年創業。「酒造りは国土を守っているのと一緒」 酒造りを通して、土地と人に寄り添い続けてきた八鹿酒造の物語。

 

  

酒造りを通し、国土を守る

八鹿酒造は、大分県玖珠郡九重町の田んぼと山に囲まれた小さな集落で古くから酒造りを続けています。蔵の敷地内に岩盤を貫く深さ250mの井戸が掘られ、九重連山の伏流水が流れ込む澄んだ地下水によって酒造りが行われています。

 

今回のTOKIWAプリーマの中心人物は、麻生益寛専務。お話を伺う中で特に印象的だった言葉があります。

「僕らは米を育てて、酒を醸しています。酒造りは日本の国土を守っているのと同じなんです。」

八鹿酒造の約160年の歴史を紐解くと、その言葉の意味がよくわかります。

  

水と鉄道。九重のインフラづくりに人生をかけ挑んだ先代たち

江戸時代末期、初代と二代目は、水利が悪い九重に井路を作り村人を飢えから救おうと決心し灌漑工事を始めますが、問題が多発し頓挫。井路はできないまま、麻生家は家財や山林原野を売り、酒造権利をも手放すこととなります。

三代目が執念で酒造を再興させ、銘酒「八鹿」を誕生させ酒造業を軌道にのせます。そして先代があきらめざるを得なかった井路作りに取組み完成させました。その後、国鉄久大線敷設にも着手し、20年間かけ開通させます。

酒造りのもととなる米づくり。その基礎となる水を、皆が潤沢に得るための環境づくり。そうして生み出された酒を流通させ、暮らしを向上させる鉄道というインフラを、まさに人生をかけて作り上げてきたのです。まるで映画のようなストーリーですが、一企業の実話です。

 

時代のニーズに合わせ変化し続けてきた

老舗企業ならではの歴史という縦軸に加えて、八鹿酒造が担ってきた大分の暮らしに根ざした役割には、横軸の影響力を感じさせます。

その後、五代目はそれまで地方の酒造業では考えもしなかった鉄筋コンクリート造りで年中安定した醸造を可能とした酒蔵を新設し、現代に合わせた酒造りを実現。六代目は、焼酎ブームを好機ととらえ洋にも受け入れられそうな本格麦焼酎を生み出し支持を得るなど、時代のニーズに合わせ変化し続けてきました。

 

「お酒は人生に寄り添うもの。だからこの仕事につけて幸せ。」

歴史を背負って日々酒造りに取組む麻生専務。

「酒造りの仕事につけて幸せだと思っている。」とにっこりと語ってくれました。

 

「お酒は人生に寄り添うものだと思っているんです。人は、お祝いなどのうれしいときはもちろん、悲しい時もお酒を飲みます。酒は喜びを倍増させ、悲しみを半減させることができます。コミュニケーションを円滑にする効果もあり、人が集まってみんなで飲む酒もあれば、どうしようもできない気持ちを抱えて一人飲む酒もある。心が動く瞬間に存在するものでもあるし、心を動かすものでもある。ただの食べ物でもない、飲み物でもない。人生に寄り添うことができる、お酒を醸している。それが大きなやりがいです。」

 

酒は、人と酵母…生き物がつくるもの。だから笑顔でつくる。

だからこそ、つくる時にも「笑顔」を大事にされています。

八鹿酒造の入り口には三代目が残した「笑門」という大額があります。「笑う門には福来る」という意味だけでなく、この額の下を通る時は「みんな笑顔で通りなさい」というメッセージでもあります。酒は人間の手と、酵母…目に見えぬ小さな生き物がともにつくるものです。穏やかで平和な心、愛情を持って接しなければ良い酒はつくれません。そして、そんなお酒が、誰かの人生に寄り添い、時に笑顔を生み出していくのです。

 

先代から受け継いだ信念を胸に、取り組む様を語る麻生さんの笑顔が印象的でした。

  

生活様式の変化と、コロナ禍の苦しみ

先人たちの思いを繋ぎながらも、現代の酒の可能性を追求しています。麻生専務が危惧しているのは、飲酒人口の減少と生活様式の変化です。

「注文されるお酒のジャンルが変わってきたなぁと思います。飲み会の席でも、『とりあえず生』ではなくなってきて、10人が10人違うものを頼むのが令和の時代なのです。ノンアルコールを頼む人も増えました。」

2019年のラグビーワールドカップを皮切りに、東京オリンピックが控え、国内の需要だけでなく、海外からの旅行者、海外へのPRも盛り上がっていました。色々な商品を開発し、仕掛けも考えていた矢先、コロナが世界中を襲いました。まず、大きな宴会が開催しづらくなりました。そのうえ、日本古来の文化である、『酒を酌み交わす』行為自体が避けられるようになりました。多くの酒を卸していた宴会場や大規模な飲食店の数々が閉店に追い込まれ、八鹿酒造も厳しい状況に立たされました。「一日でも早く、2019年のような環境に近づけ、楽しく酒を酌み交わしたい」その一心で、今も試行錯誤を繰り返しています。

 

自分たちの価値。酒造りは循環している!

そんななか、麻生専務たちは「八鹿酒造に出来ることは何だろう」と考えました。

「SDGsという考え方が重視されるようになりましたが、もともと酒蔵業は循環型社会を形成しているのです。

土壌を整備し、水の流れを整え、米を作る。きれいな水を生かして、菌たちとともに酒をつくる。お酒を絞った際に残る酒粕(さけかす)、漬物を飼料にして活用している。また、会社としてのあり方もそう。米を生産してもらうのももちろん、地域で雇用を生み、暮らしの源となっている。酒蔵が置かれている逆境があったとしても、今自分たちができることをし続けるしかないと改めて思います。」

 

振り返ると八鹿酒造は、時代に合わせて変化し続けてきました。曲げない部分と変化する部分。環境に適用するという感覚を超え、環境と共に創造することを続けてきました。

 

そして、酒づくりを通して土地を耕し、水を守り、暮らしを作る。この土地に生きる人・米を作る人・酒を作る人・そして酒を飲む人々の、人生に寄り添い続けています。  

 

つなぐという役割。酒造りを通して、大分の魅力を伝えたい。

「美味しいお酒を通して、大分に興味を持ってもらい、大分を訪れるきっかけになりたい」麻生専務は、こう語ります。

大分ってこういうところ。お酒を通じて、大分を発信している。九重を伝えている。

「このうまい酒を作った土地に訪れてみたい。そんな需要を生んでいきたい。やっぱり酒も食べ物も、生み出された土地で飲み、地のモノと一緒に食べるのが一番おいしいんですよね。八鹿の酒を飲んで、大分に行きたいと思ってほしい。」

 

実は、今回のTOKIWAプリーマもそんな想いの輪の中にあります。

ジンという流行を、八鹿酒造だからできる技術とスタイルで生み出し、新しい経路で発信することで、これまで八鹿酒造の酒に触れてこなかった層にアプローチする。 

八鹿酒造の酒に、大分のボタニカルが溶け込んだこのジンが、八鹿酒造と、会社を育んでくれた大分の魅力と出会い直すきっかけになれるよう願いを込めて。

 

【トキハ酒バイヤー 油布克洋より】

 

八鹿は大分の天気予報でお馴染みで小さい頃から知っていた酒蔵さん。大分の中でどんどん新しいことにチャレンジされている印象です。カボスを使用したかぼすリキュールやヨーグルトのリキュールなどチャレンジしている酒蔵さんの印象。今回の大分で初めてのジンも大分らしいジンを作ってくださって非常に楽しみです。

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