NEPALI VANSA|ネパールの文化を多くの人に知ってほしい。笑顔溢れ、地元に愛される「みんなの店」。

NEPALI VANSA|ネパールの文化を多くの人に知ってほしい。笑顔溢れ、地元に愛される「みんなの店」。

「ナマステー、いらっしゃいませー」

ネパール出身の茂木サパナさんと夫セレスタ・ロサーンさんが営むネパール料理店のNEPALI VANSA(ネパーリ・バンサ)は訪れた人を温かく迎えてくれます。

タルチョというカラフルなチベット仏教の旗や、エスニックなデザインの布製のランプシェード、壁面にはカラフルな色遣いで描かれた動物たちとヒマラヤ山脈の写真。異国感満載でありながら、不思議と安心感があるのは、店を営むご夫婦の優しい笑顔があるからでしょう。

NEPALI VANSA

 

ネパールの家庭料理が味わえる「NEPALI VANSA

お店の看板メニューはサパナさんが手がけるカレー。具材に合わせてそれぞれにあったスパイスを選び、手間をかけてつくっています。日本人に受け入れてもらいやすくするために辛さはリクエストに応じて調整しつつも、ネパール独自のスパイスを多用し、ネパール料理独特のスパイスの風味や味わいを残したカレーは、他のお店では食べられない美味しさです。カレーの他にも、夫セレスタさんが手ごねで仕上げるナンや、炭火釜で焼くチキン、チャイやラッシーなどの飲み物もお店で味わうことができます。

サパナさんが作るのは、ネパールの家庭料理がベース。お店の名前のNEPALI VANSAは「ネパールの台所」という意味で「このお店の料理をきっかけに、ネパールの文化を日本のみなさんに知ってほしい。」という気持ちをこめて名づけたそうです。

NEPALI VANSA

 

ネパールのことを知ってほしい

ネパール料理と聞いて、具体的なメニューが浮かびますか?ネパール文化といえば、何を思い浮かべますか?日本ではまだまだネパールのことが知られていません。

「ネパールは小さな国だし、大きな国に押さえられていて、なかなか豊かな暮らしができる人ばかりではない。でも、素敵な文化がたくさんある。それを知ってもらいたい。そのために頑張ります。」とサパナさん。離れていても、自分の生まれたネパールを、本当に大切に思っていることがその表情からは伝わってきました。

NEPALI VANSA

 

初めて訪れた杵築で感じた「ここでなら歩いていける。」

サパナさんが初めて杵築を訪れたのは2016年。当時、サパナさんはネパールから日本にやってきて、茨城県で暮らしていました。サパナさんは当時のことを「毎日走っているみたいだった。」と言います。ネパールを離れ異国の地で暮らすも、周りになじみきれず、疎外感を感じて寂しかったのです。

ある時サパナさんは、友人の誘いで大分県を訪れることになりました。大分空港に降り立つと「山があって、川があって。昔ながらのバスが走っているのを見て。自分が生まれたところ、ネパールに似ていると思った。」サパナさんは自然と涙が溢れたと言います。「自分のいる場所だと感じた。走っていたのが歩くことが出来るようになったみたい。」初めて来たのに懐かしく、自分が自分でいられる場所だと直感的に感じ、大分県に移り住むことを決意しました。その1年後に家族や兄弟姉妹と一緒に移住して来ました。

NEPALI VANSA

 

自分の好きなネパール料理のお店を作りたい。

サパナさんは茨城に住んでいた時、「料理が上手だから、お店を開いたらどうか」と言われたことがありました。当時は自分に何かをやれる自信がなくあきらめていたそうです。

大分県にやってきて、改めて自分は料理が好きだということ、周りから料理上手だと褒められた言葉を思い出しました。「せっかくなら、自分の好きなネパール料理を日本の人たちにも味わってもらおう。」そう思ったサパナさんは、ネパール料理のお店を開くことを決意しました。

 

「自分たちだけでがんばらないと・・・」本当に苦しかったコロナ

それから様々な経緯があり、2017年に現在の杵築にお店を構えることになりました。

杵築のお店を開いたときに、最初は異国の地での開業ということで、怖くて不安な気持ちで一杯でした。「やると決めたんだからやるしかない。」と言い聞かせてはみたものの、外国人だからということで白い目で見られるのではないか?という気持ちがぬぐえず、お客様に接することを避けて調理場にこもっていました。「自分たちだけで頑張らないと・・・と思っていて。」お店は何とか営業していましたが、自然体でいられるからと移り住んだはずが「自分も疲れてしまっていた」と当時を振り返ります。

苦労しながら何とかお店を続けていましたが、2019年からコロナウィルスが感染拡大し、サパナさんたちもその影響を受けました。客足はほとんど無くなり、日々の暮らしにも困るようになってしまいました。異国の地で相談できる友人もおらず、国に帰る資金もなく、途方に暮れる毎日でした。

 

苦しいコロナを乗り越えられたのは、杵築のみなさんが助けてくれたから。

その後、貯金も底をつき、お店の家賃が払えなくなってしまいました。「日本に来て、やって行くと決めたんだから、怖いけれど、本当のこと、今の気持ちをみんなに言って助けてもらうしかない。」そう自分に言い聞かせ、なりふり構わず、大家さんに相談に行きました。事情を聞いた大家さんは、親身になってアドバイスしてくれました。大家さんの紹介で杵築市観光協会や商工会を訪れ相談すると、補助を受けられることがわかりました。また、そこで知り合った人たちも色々なことを教えてくれました。

「助けてとみんなに言えたことで、だんだんと体に力が戻ってくるようだった。」とサパナさんは言います。知り合った人たちのアドバイスを素直に受け入れ、いろいろな事を試しました。店で提供していた料理をお弁当にして、地域の会社やガソリンスタンド、道の駅などに売りに行ったり、店を改装してテイクアウトの窓口を作ったり。サパナさん達はもらったアドバイスを取り入れ、懸命に取り組みました。

その何事にも誠実に取り組む姿勢は、近隣住民の方々にも伝わり、お店にカレーを食べに来てくれたり、顔を出しては「困ったときには言ってね」「頑張ってね」と声をかけてくれるようになりました。自分の家で取れた食材を持ってきてくれたり、ご飯をお裾分けと言って持ってきてくれました。

気付けば、サパナさんたちはすっかり地域のコミュニティになじんで、お店はいつのまにか地域の人たちに愛されるお店になり、少しずつお客様も増えていきました。

「たくさんみんなに助けてもらった。」とサパナさんは言います。

NEPALI VANSA 

 

この店はみんなの店」笑顔溢れる素敵なお店

地元での認知度が広まり、お店を訪れるお客様は増えていきました。最近では、サパナさんが更新するInstagramや、地元情報誌などを見て、遠方から食べに来てくれるお客様もいます。食事に訪れる人だけでなく、地元の人が、食材を持ち込んでくれたり、お花をいけて行ったり、ちょっとおしゃべりしに立寄ったり。今日もNEPALI VANSAでは明るい声と笑顔が絶えません。

「ありがとうございます。また来てください。」サパナさんは、日頃から訪れる方々への感謝を丁寧に言葉にします。「この店は私の店じゃなくて、みんなの店。杵築の皆さんの支えがあってやれているから。」

NEPALI VANSA

 

杵築の人たちに助けてもらった。次は私が助ける番。

最近は地元の福祉施設でのお料理教室の先生をしたり、留学生や地元の学生たちにネパールの文化やスパイスについて教える機会が増えました。「自分にできることがあるのなら頑張りたい」とサパナさんは言います。それはコロナで大変だった時に、杵築の人たちに沢山助けてもらったから。「一人の杵築の人として、みなさんに恩返しがしたいです。」

 

福祉施設のお料理教室の先生や、今回のプリーマでの取り組みも含め、サパナさんは色々なことにチャレンジし続けています。周りの方々に「やってみたら?」「お願いしたい。」と言ってもらったことには、「できないって言わないことにしている。」そうです。

「最初はドキドキと恥ずかしい気持ちが多かったけど「大変だったコロナの時を思い出して!」と自分に言い聞かせる。あの頃を思い出せば、何でも頑張れる。」と言うサパナさんの言葉には、強い意志が感じられました。

NEPALI VANSA

 

いつかネパールを旅しているような気分になれる店を作りたい。

サパナさんには、大きな夢があります。それはネパールにあるたくさんの民族のそれぞれの料理を知ってもらえるような店を作ることです。例えば、ブースごとに民族独特の料理を用意して色々な味を試してもらえるような、まるでネパール旅行をしているような気分を味わってもらえるようなお店。

「食べるのに困らないようになったから、次は大きな夢を叶えられたらいいな。それで日本のみなさんにネパールのカルチャーを知ってもらえたら嬉しい。そのために今はこつこつ頑張ります。」そう楽しそうに語るサパナさんの瞳はキラキラと輝いていました。

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